せんせい。-思い出語り-





1年目は、びっくりしたり、忙しかったり。
黒い学生服だらけの校内。
赴任挨拶で壇上から生徒を見下ろしながら、華が無いなぁと内心げんなりした。
新参者なのに、体育教師だからという理由で体育祭を手伝わされた。(新参だからか?)
赴任前からの知り合いが生徒会で副会長をやっていたのがきっかけだ。
そう言えばあの頃は「体育祭」じゃなくて、「創立記念運動会」だった気がする。
主催は有志…だったかな。
そういえば卒業ライブも有志主催だったか。
今よりも校内が賑やかだったような気がするのは、俺も一緒にはしゃいでたからかもしれない。
気付いたら、「まっつん」って呼び名が定着してた。
「まっちゃん」って呼んだ生徒も居たな。懐かしい。

2年目は、公私共に大忙し。
昔の悪友が偶然赴任してきて、同僚になった。
校内にはびこる同性愛にも慣れた頃、生徒にヤバい誘いをかけられて内心慌てた。
何とか躱して、懲戒免職は御免だぜ…って、一人になってから胸を撫で下ろした。
今思えばあれは、見逃してもらったのかもしれない。
その年の体育祭は確か生徒会が主催していて、スターターを頼まれた。
借り物競争の時、靴下を奪い取られて「俺にスターターを頼んだのはこの為か…」と、してやられた気分になったもんだ。
この年の3年生とは、放課後に良く遊んでいた気がする。
体育館でバスケとかもやったなぁ。
卒業式のスライドが印象的だった年だ。
3年に人気者が多い年だったんだな、確か。
卒業証書授与式で、元生徒会長が教頭に読み飛ばされたのは、もはや伝説だ(笑)

3年目は、…3年目にはもう色々馴染んでたかな。
放課後とかは、結構だらだらしてたな。
1学期にやんちゃな生徒が学食で困ったおイタをやらかしたりもしたけど…そういえばあの子も今年卒業か。あんまり落ち着いた様子は見られないけど(笑)
階段で、バレたら俺のクビがかかっちゃう事をしでかしてくれた生徒もいたっけ。
それから、校内であかずの扉の次に危険な場所に忍び込んだ困ったちゃんとか…。
なるべく穏便に諌めたけど、後になってもっとちゃんと注意していいって言われたんだ、あれは。
上司指導みたいのは珍しかったから良く覚えてる。
他にも職員室に遊びに来た生徒と保健体育の補習(猥談とも言う)とかしたりして。
授業とかでは、先輩教師が居なくなって、校内で一人きりの体育教師だったんだ、確か。
補助教員も居たけど、成績つけるのとかは当然全部俺だったから地獄で……(ふ)
良く遊びに来た生徒に資料整理とか押し付けてたな。ポッキーとかやっすいお礼で(笑)
バレンタインにチョコくれた生徒もいたかも。
そういえば、ホワイトデー……返したっけ…(ヤバい。思い出すんじゃなかった)

4年目は、平穏……いや、怠惰とも言うのかな。
この年も体育教師は俺しか居なくて、放課後はデスクワークも多かったから、あまり生徒と遊んだりは出来なかった。
思い出したくも無いこともあった。忘れてはいけないんだろうけど。
交流の無い教師に、心を開かない生徒は多い。
注意をしたり、アドバイスをしたり、そんな教師なら当たり前の様にやるべき事は、その前にコミュニケーションをきちんととっていないと何の意味も為さない。
授業でしか会わない教師など、生徒にとっては食堂のおばちゃんよりも馴染みにくい相手なんだと思う。
馴れ合いすぎたり、まるっきり友人の様になってしまうのは教師の本当に正しい姿ではないのだろうけれど、目線を揃えて接する事を忘れてしまうと校内での自分の存在意義が不確かなものになる。
いざという時に生徒の助けになりたいなら、何か有った時に生徒と関わりたいと思うのなら、大事なのは普段のコミュニケーション。
そう思い知ったはずなのにな。

そういえば、この年は事件がもうひとつ。
教師が倉庫で揃って闇鍋やったら、毒物混入。
心身ともに、危険の多い年だった…。

5年目は、今年度。
ずっと、有海高校で生徒達を見送るような気がしてた。
定年までここに居るんじゃないかと思ってた。
有海を辞める日が来たら、どっかの体操クラブでコーチでもやって余生を過ごそうかな…なんて考えてた。
でも、有海を去る日はもう間もなく。
体育の先生で、満足していた。
学生時代の、オリンピックの夢は果たせなかったけれど、運動を楽しむ事を教えられる立場に一生居られるなら、それが幸せだと思ってた。
ただ一つ、残念で淋しく思っていたのは(思えば、「不満」に近いものだったのだけど)体操部が無かった事。
この手で、体操選手を育てる事が出来なかった事。
日常では忘れてたささやかな不満だったのに、今回の話を大学時代の恩師に持って来られた時、心は動いた。

俺が学んだ事を授けて、捧げて、誰かの夢を適える手助けが出来る。
かつて自分が夢見た事が、目の前で適う様を見る事が出来るかもしれない。

少しだけ悩んで、俺は結論を出した。
今年度で有海を去る事を校長に申し出たのは、10月。
あっという間に5ヶ月が経ち、俺はもう後少しで「有海高校体育教諭」という立場では無くなる。

引き止めるような事を言ってもらったり
淋しいと口に出して言ってもらったり
俺の授業が好きだったと言ってもらったり

それらがとても嬉しかった。
…ちょっと、不謹慎だけど(笑)

有海高校の「先生」でいた事は、俺にとってとても楽しくて、嬉しい事もたくさんで
それら全部、誇りに思う。

皆、大好き。

ありがとう。

ばいばい。もしくは…またね。



 >>>松原PL   -- 06/03/23-00:12..No.[157]  
    当初は1学期に1回書いていた「せんせい。」ですが、4くらいで中断されてるので、書くのは3年振りくらいかしら…(ふ)
有海の教師キャラを動かし始めて、5年経ちました。(教師一覧で6年となってましたが、6年目にはなれませんでした、ごめんなさい)
教師ならではの楽しい事も大変な事も、色々経験させてもらえました。
松原が有海の教師として幸せな日々を遅れたのは、生徒の皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。

文中でぽろぽろ出てきている思い出エピソードに心当たりのある方は、「あ、これ俺だ」とニヤリとして下さい(笑)
松原は今後市街で動かすキャラになります。
飲み屋とかでみかけたら、よろしくお願い致します!


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