わたしあの犬が欲しいわ、と少女が言った。 ぶらんこを揺らしながらそれはまるで「氷菓子が食べたい」というのとまったく同じ調子、同じ重さで発せられたので、こちらも「そうだねぇ」などと軽い相槌を打つばかりであったが、そんな私に気分を害されたのか幾分気色ばんだ様子で彼女が言い放った。 「わたし本気なんですから。だってあんなに立派な犬さんは他にいやしないもの」 それから自身の小さな、紅葉のような手で私のひざをぴしゃりとやってから、また飽きもせずうっとりとするのであった。視線の先には先ほどから散歩をしている一匹の犬とその飼い主とおぼしき人の姿がある。 「あんな大きな犬から噛まれたらお前なぞ一息で死んでしまうよ」 「そんなの全然平気よ。それにあの犬はとても賢そうだもの。そんなことしっこないわ」 この幼い言い分に若干苦々しく思いながら改めて件の犬を観察するとなるほどその犬は大層りっぱであった。ラッコの皮を丹念になめしたような色の濃い毛並みの背は一分の弛みもなくぴんと張られ、石炭色の真っ黒な鼻っ面などは珪素が降る様な春陽の中でぴかぴかと得意げに光っていた。伸びた鼻筋の上の双眸も黒々と理知的で、何よりその目には同伴している彼への信頼と深い愛情が湛えられていた。 「ねぇ、うちではあの犬は飼えないよ」 「どうして」 「どうしたってさ」 遠くから氷売りの声が間延びして聞こえてくる。 買い物刻を迎えた町並はがらくた箱にも似た煩雑さで賑わっているようだった。私は依然泣き止まない妹の手を握りながら、あてもないままに夕焼け色の町並に足を向けた……… ここまで書き終えて秋彦はシャープペンシルを置き、それから大きな伸びをひとつと長い長いため息をついた。自分の他に人のいない図書館で、しばしばこっそり書き進めている自作の短編集はもうノートの半分まで来ている。ただの自己満足だと思っていてもとても嬉しいものだ。けれど誰かに見せたことは一度も無い。見せよう、とは思ったことは幾度かあるが、事情を知る友人に、自分が感情移入して書いたものなど見せるのはちょっと、いやかなり恥ずかしい。まだしばらくは自分だけの楽しみになるだろう、と苦笑しながら秋彦は夕暮れの図書館を後にした。 |
>>>八萩pl -- 06/05/08-20:16..No.[162] | |||
か・かなり恥ずかしいんじゃないのコレ。と思いながらしばぴさんに言った手前ひけずにあげますよー… センセー、採点お願いします。 |
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