これがいい

「これがいい、って、あまり思った事がなかったんです」

 否、あまり思った事がない、というより、全くなかった、と言ったほうが正しい。
 いつも何かを選ぶ時、自分は良く迷っていた。優柔不断な性格であると自覚もしていた。
 それは、どっちも欲しかったり、どちらかを捨てられなかったりするわけではなくて、どれも、欲しくはなかったから。
 必要なものはある。
 小学校に上がる時に、親から、好きな鉛筆を買っていいよと言われた。
 鉛筆が必要な事はわかっていた。色々な柄があって、形も三角だったり四角だったりと面白い鉛筆が並んでいた。
 好きなものを選んでいいという言葉と、目の前にずらりと並んだ鉛筆を見るのは楽しかったけれど、どれを見ても、はっきりとコレが欲しい、という感情は浮かばなかった。

「その時は、母さんの顔を見上げて、母さんが気にしているように見えた、ピンクに花柄が飛んで、ウサギの絵が書いてあるやつに決めたんです」

 自分は笑いながら話す。母は、そういう女の子らしいものが好きで、特に自分に、女の子らしいものを持たせるのが好きだった。
 結局、その鉛筆は、小学校でクラスの女子に見つかり、さんざんに笑われたのだが。
 その時の自分は、自分で言うのも何だが、とても可愛らしい姿をしていたと思う。スカートこそ履かなかったけれど、母や兄達は、自分に女の子っぽい洋服を着せたがったので。

「ん? どうした」
 こちらを振り向いた人が笑う。
 その笑顔は、黙っていると少しだけ怖い彼を、とても魅力的に輝かせる。薄い唇の間から、白い歯がちらりと見えていた。
 あの唇が欲しい、と唐突に思って、自分は首をこてん、と傾げる。
「キス、していいですか」
 彼は、自分にだけ分かる些細な表情の変化で少し照れてみせて、ああ、と頷いた。
 目を細めるその緩やかな笑みは、先程とはまた違う引力を持って、自分をひきつける。
 秋風吹く屋上。そっと唇を重ねながら、いつものように差し出された暖かい舌を吸う。

 これがいい。
 この人がいい。

 信頼しきったように身を任せられ、背中にまわした腕で彼の体をひき寄せながら、自分は思う。

 この人だけが 欲しい。

 緑のフェンスの向こう、校庭には部活に勤しむ生徒に、校門に見える、他校の女子の制服。

 誰にも、渡さない。



 >>>匿名   -- 06/11/10-21:59..No.[179]  
    さて、屋上のフェンスは緑なんでしょうか。


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