『鯉浄土』

 弟の隼人は良くも悪くも従順すぎる。ガキの頃から人の言った事を全部鵜呑みにして、やれと言ったことは何でもやってみせる奴だった。
 あまりの道化師っぷりに、若干将来が心配になってくる。周囲の言葉をどう受け取れば、そんな風に自分をないがしろにできるんだろうか。

「兄貴ィ、勇と遊んでくる」
 五歳下、小学六年生の隼人には同級生の親友がいる。
「おう、あんまり遅くなんなよ」
「うん」
 勇ならしっかりしているから、多少遠くへ行っても大丈夫だろう。
「お前、釣り道具持って、川行くのか」
「うん、魚釣るの」
「流されんなよ。桃太郎みたいに運良くお婆さんに拾われる前に野犬に食われんぞ」
「だいじょうぶ。俺モモじゃなくてスイカに入るから」
「それじゃァお前、スイカ太郎だ」
「すげえ硬ェぞ!」
 言葉で隼人を遊んでやるのは、いつからかの習慣だった。
 ちっちゃい頃から恥かしがりで人見知りで、ロクに会話も出来なかった弟のために、それなりのトス回しを鍛えてやる積もりだった。
 口先だけが発達して内面が伴っていない事にも気付いていた。言葉が空回るとき、それに付随する相手の心情までは、隼人には伝わっていない。
 心配しても、隼人にはわからない。
 はっきり言葉に出して言わないと、何も読み取ることができない奴だ。
 でも俺は、隼人には言わなかった。
 いつも見守っている、ちゃんと愛している、受け止めてやる。
 その言葉が出てこなかったのは、俺自身、それを言われて来なかったから言えなかったのかもしれない。自分がされたようにしか、人に接する事は出来ない。もしかしたら、隼人にとっては、言葉で抱きしめてくれる相手というのはいないも同然なのだろうか。 彼は言葉に対して、過剰なまでに物質的だと、たまに思う。
 
 釣りから帰って来た隼人は、勇に手を引かれて泣いていた。
「どしたん?」
 俺が勇に聞くと、勇はぶっきらぼうな顔で隼人のクーラーボックスを差し出した。
 開けてみると、中には、ガラスの破片が突き刺さった白い鯉が、息絶えていた。
「ありゃりゃ。コリャ可哀想にな」
 俺は20センチ程の鯉を掬い上げると、痛々しいガラスを取り除いてやった。
 食べるつもりで釣ったんだろうに、隼人の鯉を見る眼は既に飼い犬か飼い猫へのそれになっていた。
「まァ、どうせまな板で刺身か、ぶつ切りで鍋の運命だったんだからさ。同じ事だろ」
 慰めのつもりで発した言葉だが、慰めにはならないだろうとも思っていた。
 隼人は目を赤くしたまま震え、怪我した鯉を鷲掴みにすると、俺と勇に背を向けて庭に飛び出した。
 やれやれ。と俺は後に付いて行ったが、勇はその場に突っ立っていた。

「なンで鯉さんはこんな死に方したのか、隼人は見てたんか」
 隼人は頷いた。
「だから悲しいんか」
 また頷く。俺はよしよし、と弟の小さな頭を撫でてやった。
 隼人は黙々と土を掘っていた。傍らに、鯉の死骸があった。
 弟と死んだ鯉を、なんとなく、『似合う』と思った。
 そんな発想をしたことを、俺は家族の誰にも言わないだろう。
 後ろから、勇が遅れてやってきた。無愛想な表情なのは常のことだ。
「……コイツ、フザケてて自分で落としたの。コーヒー牛乳の瓶、うっかり、川に」
 話によると、それが割れて、釣竿に掛かっていた鯉に刺さったそうだ。
「隼人」
 心なしか萎れてみえる隼人の背中に、俺はいつものようにポンと投げ掛けた。
「墓、作るのは構わないけど、作りっぱなしにすんなよ」
 隼人の手が止まる。
「責任を感じてないなら、始めから弔うな」
 隼人の後ろ頭がその場でぴたっと静止する。
「可哀想ってだけで、そんな事するな。お前が慰めたいのは、本当に鯉か?」
 しゅん、と音が出るかのように項垂れる柔らかそうな真っ黒な頭を、小突いてやりたかった。少々可哀想に思うが、俺は彼を抱きしめてやれない。
 隼人がやがて振り返った。
「兄ちゃぁん……」
 泣きそうな目で見上げる。道化師が芝居の緊張から溶けたように。
 操り人形みたいな弟は、死んだ鯉よりも深く、生きながらにして土に埋められているようだ。底辺を這い蹲っている風にもみえる。
 隼人は、そうやっていつも、湧き出る何かを仕舞い込もうとしていた。
 いつか、爆発するだろーな。俺は安穏と考えていた。
 こいつ、いつ周囲に心を開くんだろう。

 例えばその土から芽が出たら、彼の庭は枝先までも、彼を責めるだろう。
 でも、幼かった隼人は、枝先に届く事無く、やがてその庭を忘れた。
 俺は高校を卒業して、隼人の面倒を看るのもそろそろ辞めた。
 パツキンにして、日サロで焼いて、隼人の近寄れないような存在になるべし。懐に深く、いつまでも入れておく事が、彼の為になるとは思えなかったからだ。ブラコンな弟なんかほっぽって、遊びたくもあったし。
 

 隼人が高校に上がる前、俺はビビリの彼とひとつ約束をした。


『自分でこうありたいと思ったことを、言葉に出して実現しろ』


 隼人は真剣な顔で素直に頷いた。
 まだ何も形にできない、自分すら定まらない彼のことだ。
 それをやったら、きっとスゲェ道化師と化すだろう。
 それこそ、中身空っぽの、空回りバンバンの、滑稽なピエロ。
 俺はそれでいいと思っている。
 器だけ先に作っておけば、いずれ大事なものが出来た時、きちんと中に入ってくるだろう。容れ物があれば、蓋を開けさえすりゃ、良い物も悪い物も仕舞っておける。
 誰からどんなものを吸収して育つのかは、俺には与り知れない事だけども。


(了/20100911)



 >>>槇村PL   -- 10/09/12-10:36..No.[216]  
    ご清聴ありがとうござました!あくまでも自Cの世界に留まった小説ですが。拙くてすんません。書いてる最中は全く気付かなかったけど、何かとんでもないものを書いてしまった気がする。


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