日曜の風景

【AM3:00 カクテルバー・ブルー】

「あ……」
 ワイングラスを傾けていた不破が唐突に声を上げる。
 慌てて、といってもかなり酔っているので実際にはとても緩慢な動作で携帯を取り出すと、ボタンを押す。
 ジャズの低音が心地よい店内に、不似合いな電子音が響く。

 ピロリロピ。

 電子音が止んだと同時に、不破がそれは真剣に語りだす。

「あ、克さんですか? 明日のアトム、撮っておいてください」
「撮るって?」
「ビデオ、セットするのを忘れたんです。最終回なんですよ!」
「……無理に決まってるだろ」
 カウンターに響く声。

「……ねぇ、不破ちゃん。それ、素?」
 不破を見ている芹沢が笑う。
 早瀬が重い溜息をついて携帯を切る。

「あれ?」
 カウンターに並んで座るのは3人。右から芹沢聖、不破連太郎、早瀬スグル。
 不破は首をかしげて早瀬を見る。
「今ここで飲んでる俺が、どうやってビデオ予約するんだよ」

 彼らの前に並ぶ、空のワインボトルはすでに4本目。
 早瀬が不破にワインを飲ますまいと心に誓ったかどうかは、定かではない。



【AM4:00 二鷹市内とあるマンション】

「ったく、アンタの家、酒と水以外ないのかよ」
「コーヒーがある」
 市河崇史がバイトを終え、新条蒼司のマンションに来たのは数時間前。
 毎度のことながら、この家で飲むとつまみがない。一通りの料理は作れる市河でも、食材がない家ではどうしようもない。それ以前に、グラスすらろくに揃っていない、本気で何もない家である。

「グレープフルーツジュースとか、入れとこうと思わない?」
 市河はぼやきながら、酒とミネラルウォーターと錠剤しか入っていない冷蔵庫を閉める。
「……欲しければ、買って来い」
 ベッドの上で掛け布団を抱き寄せ寝転がる新条が、視線だけ投げる。
「メンドー」
 側まで戻ると、よこせとばかりに市河は布団の端を引く。
「大体アンタ、飯食ってる?」
「カロリーなら、ちゃんと取ってる」
 奪われまいと新条が布団を強く抱きしめる。
 無駄に布団争奪戦をしてカロリーを消費し終わった頃には、時計は5時近くを指していた。



【AM5:00 カクテルバー・ブルー】

「アトム、いいですよね……」
「うん。日曜日に朝からアニメって、いいよね」
 不破と芹沢、20歳を過ぎたいい男が鉄腕アトム話に花を咲かせている。もっとも、酔っ払いたちの会話は微妙に噛み合っていないのだが、それはどうでもいいこと。
 話が聞こえているマスターの苦笑を他所に、シリアス度は上がっていく。
「どうしましょう。このままではアトムが見れません」
「困ったよね。最終回って絶対みたいんだけど……」
「家帰ればいいじゃん」
 冷静な早瀬の突っ込み。だが、彼以上に酔っ払っている不破と芹沢がそろって早瀬を睨みつける。
「ダメです。寝てしまいます」
「そうだよ、早瀬ちゃん! 見ることに意義があるんだよ」
「そうです、聖。でも、どうしましょう……」
「あ、そうそう。ここだと新条ちゃん家が近いよ。あの家、プラズマテレビだよ」
「へぇ、蒼司金持ち〜」
「決定ですね。朝までここで飲んで、新条君宅へ行きましょう」
 ニッコリ笑む不破。笑み返す芹沢。
 こういう状況のふたりを止めても止まらない事を知っている早瀬は、何度目かの溜息をつく。
 カンパイと重ねられたグラスには、6本目のワインが注がれていた。



【AM9:00 二鷹市内とあるマンション】


 ピンポーン。
 ピンポーン。
 ピンポーン。ピンポーン。

「ウルセーよ!」
 何度も鳴るベルの音に、たまらず市河が起き出す。
 このマンション、オートロックのため、訪問者は一旦部屋の人間を呼び出しドアを開けてもらわなくては中に入れない。
 呼び出し音で反応がなければ、当然その家の人間は留守。訪問者はあきらめるべきなのだが……。ひたすら何度も鳴りつづける呼び出し音。それはつまり来訪者が粘っている証拠だ。
「……おい、蒼司。出ろよ」
 睡眠妨害状態のベル音。元々寝起きがよろしくない市河にとって、怒りゲージはMAXに近い。隣でなお眠ろうとしている新条を、容赦なく叩いた。
「お前が、出ろ……」
 普段ならそんな我侭は聞かないのだが、今日は非常識な訪問者への怒りの方が勝っていたらしい。市河は布団を撥ね退けると、インターフォンを乱暴に取った。

「はい、どちらさん!」
 睨みつけた小さなモニターの向こうには、見た目だけは綺麗な男が3人並んで満開の笑みを浮かべている。
『アトム見に来ましたー!』
 有海高校伝説の『不幸のガクラン』継承最有力候補と言われ続けていたにもかかわらず逃げ切った市河だが、そうは問屋が卸さない。不幸は常に彼の目の前にある。

 無邪気な子供のような素晴らしい笑顔。
 二鷹市街最狂の、あの不破が、あの芹沢が、爽やかな笑顔で立っている。
 ……ありえない。
 黙って受話器を置くと、市河は入り口のドアを開けた。


「……帰れ」
 酒の匂いと共に部屋にやって来た、招かれざる客人たちをベッドの上で迎えた新条の第一声である。
 高校時代から彼らと付き合いのある新条にとって、いやキャラクター的な問題もあるだろう。狂人軍団の無邪気笑顔攻撃は痛くもないらしい。
 無愛想全開の家主の態度だが、酔っ払いにとっては気にもならないもの。
「アトム、見に来ました」
「だって最終回なんだよ」
 勝手知ったるで芹沢がテレビのリモコンを操作し、いそいそとテレビの前に陣取る不破とお供の早瀬。
 彼らの後に部屋に戻ってきた市河が、深い溜息をついてベッドサイドに座り込む。

「……なんで入れたんだよ」
 新条がベッドの上から手を伸ばし、黒髪を引っ張る。痛いとその手を払う市河の顔は、なんとなく青い。
「不破さんが、ありえない笑顔で笑ってるんだぜ」
「それで……?」
「開けなきゃ呪われる」


 本当に無邪気な子供のようにアストロボーイの放送を見ている男達。それもご丁寧に歓声つきだ。
 ショックやら騒がしさやらですっかり目の冴えてしまった二人が、重い溜息をついた。


【AM10:10 そして……?】

「ふぅ。楽しかったです」
「じゃあね、新条ちゃん、市河ちゃん」
「……悪ぃ」

 台風一過。
 静かになった室内には朝日が差し込み、健全な日曜日の朝がはじまっていることを教えてくれる。

「……崇史、コーヒー飲む?」
「濃いのちょうだい」
 家事は一切しない。包丁持てば手が朱に染まる。そんな新条が唯一手間を惜しむことなく、コーヒーだけは豆から淹れる。最初は新条が淹れたコーヒーなんて血の味がするんじゃないかと疑ったものだが、今となってはこの家に来たらコーヒーを飲むのが当たり前となっている。
 部屋に漂うコーヒー豆の香り。朝の風景としては間違っていないのだが……。
 日ごろ夜の遅い身としては、休みの日くらいちゃんと寝たい。

「睡眠時間、たった4時間か……」
 不幸に魅入られた男、市河崇史。
 彼の重い重いため息は、コーヒーの香りの中に消えていった。



 >>>神楽   -- 04/04/28-16:50..No.[2]  
    不破蓮太郎氏の世にも珍しい「いい笑顔」の挿絵が、そのうちアップされるそうです。ね、みたまい?(笑)

市街民は皆様と遊ぶ日を、手薬煉ひいて待ってます。


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