由紀はくさくさしていた。 プライベートでは彼氏と別れ、会社では上司と喧嘩。家に帰ってくれば親戚がどんちゃん騒ぎ。 人生は悪い方に転がり出すと連鎖的にそちらの方へ堕ちて行くものなのだろうか。 電話をかけた長年の悪友、ゆっこちゃんは 「そういう時はパーッとやるしかないんじゃん。飲みに付き合ったげる」 「あんなさぁ、由紀がちょっと仕事忙しいからって浮気するような…」 浮気……。 浮気なら別れたりしない。「本気」が浮気先になり、こっちが「浮気相手」の地位に浮沈したからこそ、自分の勝ちポイントが「先に付き合っていた」だけになったからこそ、別れる羽目になったのだ。 同僚の女の子が貸してくれた「君ぺ」を読みながら、くさくさした上にドロドロした気分を持て余して、ベッドの上で弾む。 その時、階段で、ドッカーン、と言う音が聞こえた。 「………………?……」 本を、そろそろ…と顔上からお腹の上に置いて、寝転がった状態から頭を起こす。 「陽!……陽!……しっかりしろっつて、…今の若いもんは、重い……。由紀ぃ!」 父親のどなる声が聞こえる。 普段口の重い父があれだけ喋ってると言う事は、相当に酔いがかさんでいる。 顔は出したくなかったが、音源を確認したくて自室のドアを開けると、父親に身体を支えられてはいるが、どうも頭をしたたかぶつけたらしい少年が項垂れるように頭を下げている。 「何それ……」 「忘れたのか。ほら。神母木さんとこの、陽ちゃん。…酒に弱い弱い…。ぐずぐずになってたから、上の和室まで運ぼうと思ったら、思う通りに歩かねえ」 「お父さん、そこの柱にまさか頭ぶつけたの、その子」 「死にゃあすまい」 …死ななきゃいいのかしら。 「呼ばれても、運べないわよ。お父さんどうにか上げてよ」 「お前は布団を敷いておけ。神母木は全員今日は泊まりだしねぇ」 ばたばたと動いて、おばあちゃんが亡くなって空き室になったままの狭い和室に布団を敷く。 「下はまだまだ宴会しとるから。寝かせとけ」 どさりと、砂袋と大差なく下ろされる「陽」を見下ろして、襟元のボタンを少し緩め 「タオルで冷やしてやったほうがいいかしら…」 手当ての加減を呟いてるうちに父親が下階に飲みに消えた。 ていよく押しつけられた「陽」を眺める。 眉間に皺を寄せるようにして、息苦しそうに時折寝返りを打つ。ぶつけた頭を無意識に擦ってるのを見て、思わず吹き出し。男の子にしては長い髪に触る。 その時、思いがけない事が起こった。 陽が由紀の腕を掴んで、なにやら聞き取り辛く、もつれるように 「……いで」 「え?…何。…お水?」 「……ごめん」 「………ごめん、…ごめ……」 額に汗が浮いているので、酷くつらそうに見える。お酒かしら。何か嫌な夢かしら。 「…どうしたの。…大丈夫よ。………お水飲む?」 訊ねても、意識のありそうな返事は聞こえない。 「……ごめんなさい」 ずっと繰り返し謝る様子に、宥めるように由紀が陽に顔を寄せる。 「…大丈夫よ。……いるわ」 腕を掴む手が首に回り、肘を折り身体を寄せる。 どうしてそんな事になったのか、泥酔の陽はもとより、由紀もよく分からない一夜だった。 喉が渇いて朝、と言っても、超早朝に陽が頭痛と共に目を覚ますと、隣で由紀が寝ていた。 「………… ……」 目を凝らす。 間違いなく、女性が居る。 「……は、……?」 その、陽の僅かに零した掠れ声に、由紀ががばっと身体を起こす。 「…やだ、…寝ちゃった…」声の音量は囁くような程で、 「親が見に来なくてお互い良かったわね…」 てきぱきと着崩れた服を直す女性の仕草をぼんやり眺め、時折意識が頭痛を掴まえ、顔を顰める。 由紀の方も、目を覚ました陽の顔を見て軽いショックを受ける。 ガキだ。 どうみても高校生だ。 30にチェックメイトの自分が彼と。…超未成年淫行。 やめて10歳以上違うわ。 自分が女性だとは言え、後ろめたい気分が嵐のように過ぎり捲くる。 色々訊ねたがる様子の陽を、そそくさと置き去りに水を取りに行ってやり、介抱の真似事をして、自室に下がる。 パタンとドアを閉めて、そのままドアの前にしゃがみ 「やっ……ちゃった……」 両手で顔を覆い、ストレートの髪がさらりと下へ零れ落ちる。 1)彼氏と別れてイライラしていたから。 2)上司と喧嘩してむしゃくしゃしていたから。 3)…………… 頼り無さそうな陽の声を思い出す。 「ごめんなさい」 あれだ。あれにやられたのだ。 夏の間、その出来事から2回、陽は由紀に葉書を書く。 由紀は葉書を見る度、こめかみを抑えて、自分のしでかした事を思い返し、返事は一切出さなかった。 「…何に謝ってたの」 届いた陽からの残暑お見舞いの葉書に声をかける。 当然葉書は返事をせず、由紀のささやかな謎として心に残った。 |
>>>ゆり -- 05/09/29-05:14..No.[138] | |||