ディスカバリー

沙代子が台風前の荒れ模様の中、髪を散らして自転車で家に戻ってくると、家の中の人口がイッキに膨れ上がっていて呆然となった。

「な…、なんで、こんな野郎だらけなの、お母ちゃん」
台所で、大鍋で煮物を作り、必死に野菜を切りまくり、食事の支度に取り掛かっている母に声を潜めて尋ねると、
「お兄ちゃん、帰ってきたけ」

…お兄ちゃんだけじゃないじゃん!!

お兄ちゃんとその仲間達、と言うか、お兄ちゃんと愉快な人々と言うか、とにかく、同じ大学の面子と思われる男達がリビングと言う名の1階畳敷き20畳に、あっちにもこっちにも、ゴロゴロしていて、眩暈を覚える。

ああ、私の夏休みは始まったばっかりなのに……

思った通り、母が台所から「お膳立て手伝って」だの、「ちょっとこれ切っといて」だの、戻ってきた女手を頼りにした声を次々に寄越す。

ああ、私の夏休み……

ちょっと風変わりなお兄ちゃんが、希望する大学に受かり、親戚のみならず、学校まで万歳をし、時の人となってから数年。
普段は寮に消えて、兄が居ないと言う日常にすっかり馴染んでしまった沙代子は、兄が嫌いではないが、居なくてもよしと言う状態に薄情ながら落ち込んでいた。

日頃居ないから、珠には許してあげよう、と、心で思うほど高校生の沙代子の「人間」は出来てはいなかった。

「あーもー……サイアク、サイアクー」

部屋にかえって、バサバサになった髪をくくり、鏡を覗き込む。
そのまま、ぱっと部屋を出て母の手伝いに階段を駆け下りた。

段下、ばったりと、一人の青年と行き当たる。

「わ、わ、…、……」

ぶつかりそうになって、たたらを踏み、どうにか手摺りに掴まって堪え、目の前大人しそうな相手を睨むと、相手が少し顔を傾けた。

「…何ですか」この人達の世話に、恐らく私の数日が消える。そういう感じに声が少し荒んだ。
「後で上のベランダとか、出られませんか。…無理ならいいんです」
「何で?」

しかも2階は家族のスペースで、こうなってくると、そこだけが避難場所とも言え、他人には上がって欲しく無かった。
相手も、拒絶するようなトーンに気が付いたのか、ちょっとお互いに黙り込むような間がうまれ、沙代子が挑戦的に顎を軽く上げる。
彼は、少し躊躇った後、

「…ディスカバリーが……」

思いがけない言葉を口にし、沙代子は目を瞠った。

「ディスカバリーの打ち上げがもうすぐなんだ」

なんだっけ、それ。ディスカバリー…、ディアゴスティーニじゃなくて…、打ち上げ、そう、NASAの、あれだ。
頭で一本に繋がった後、まじまじと青年の顔を見る。
「…だって、日本、台風よ」

外は風轟々。
雨も降ったりやんだりで、空なんか。
いやさ、快晴だったとて、見えるものではない。
空なんか。

彼はなんとも言いがたい顔を見せて、黒髪を掻き揚げ、視線を外した。

「見えるわけ、無いじゃないですか」
続けて言っても、まだ黙ったままで、徐々に可笑しくなってきて、どんどんと続きを言う。
「無理よ。ちらっとも見えないわ」
「すっごい性能のいい望遠鏡を持ってたって、不可能と思わない?」

目の前の彼は、黙って頷き、もう1回
「駄目ですか」
と、訊ねた。

沙代子が笑い声をたてる。
「いいよ。後であがれば。廊下真っ直ぐ。突き当たりの和室からが一番見晴らし良いっけね」

彼は礼を言うように頷くと、そっと笑い、自分の前から立ち去り、なんとなく、白いシャツの背を見送る。
「変なの」
声に出して言ってから、唇と唇を合わせるように動かし、自分がリップ一つつけていない事に気が付いた。
指で触ってから、階段を駆け上がり直す。

さっき投げやりに覗いた鏡を覗き込み、前髪を横へ撫で付けなおしてから、グロスをつけてみる。
ちょっと目立ち過ぎる気がして急いでティッシュで拭うと、薄い色つきのリップに直し、軽く歌を歌いながら、母の手伝いをしに階段を駆け下りて台所へ向かった。


それはちょっとした夏の初めの出来事。




 >>>ゆり   -- 05/07/31-02:33..No.[128]  
   


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