女たちの策謀

「斉藤さんのとこも来年受験でしょ?」
「そうなのよ、勉強はしてるみたいだけど・・・」



美佐子は注がれたコーヒーを腹の内で、苦いな、と思いながら
ひとくち啜った途中でカップを引き下げるのも
心象に悪いと感じ、
改めて二、三度傾けてから、また元に戻した。


休憩時間の合間を使って全員のコーヒーを用意するというのは
取り決められたものもなく、
自然と古参である晴美の仕事になっている。
その名目で、誰よりも先に休憩室へと転がり込んでは
仕事をさぼる事は周知の事実だ。


晴美は備品として皆で小銭を出し合って、
月に2度ほどまとめ買いをする
インスタントコーヒーを、馬鹿のように
スプーンいっぱいに盛り上げて濃い目にいれてしまう。


「たくさん入れた方が美味しいでしょう?」と、
若くもなくなった声色で猫を舐めるようなしなを
取り繕って言ってのける晴美の弁を
薄気味悪いと感じながらも、遮る事は誰にも出来ない。


美佐子は、晴美がこんなうらぶれた場所の、
小さなコミュニティの中でふりかざす所帯臭さに
気付きもしない事を、心底浅ましいと軽蔑をしていた。



「みたいっていうか、子供はさ、
親の目をかすめるのが上手いから」



言葉尻を掴んでは、妙に疑心を抱く事をもちかける
話題の動かせ方をするのは晴美の話術では常套だ。


だが事実晴美自身、
子供に私立の大学に行かせる為に働かなきゃね、と
周囲に言い続けていたのだが、
塾に行くと称して晴美には隠れてアルバイトをしていた子供が
不意に勤め口を他所の土地で拾い上げ、
悶着の末に晴美をねじ伏せて家を出て行かれた
辛酸を舐めさせられている。


働きに外へ出る理由を失った晴美が
未だにこの場所に留まっている事を
皆は陰で「他にする事もないのよ」とせせら笑い合ったのを
美佐子も無論晴美のいない所でのぼった話題に耳にしている。




晴美が自らで入れた、酷く濃いコーヒーを
さも旨そうに音を立てて啜る様子をちょっと窺い見てから、
美佐子はこの無駄話からむやみに掘り下げられないような
会話を運ぶ手口をしたたかに編んでいた。



「親の手の届かないところに行きたがる年頃だしねえ」
「あら、寛大」



晴美の、言葉の隅に潜んだ刺を、美佐子は無視した。



「手を掛け過ぎてもいつかは親の手を離れていくし」
「・・・」
「変に締め付けておかしな方にいかれても困るしね」



このところ、受験を控えてナーバスになりはじめた
息子の鞄から煙草の空き箱が転がり落ちて来たのには
美佐子も理性を失いかけたが、
男の子の動静について、女親の手はつい緩みがちになる。

みすみす見過ごすのも
親としての怠慢を恥じ入る結果になるのでは、という
子供よりもなお自分のために、美佐子は息子を叱り飛ばしたが、
息子はそんな美佐子の心中をすべて見透かしているような
冷えた目線で美佐子の激が頭上を過ぎるのを心なく待ち、
水面の垢を掬うような心もとなさを味合わされた。



美佐子としてはその近日の出来事を引き合いに、
何気なしに述べた弁だったのだが、
それまで平静を保ち続けていた晴美の顔色が瞬時に変わった。



「子供は恩知らずよ」



美佐子が、しまった、と思ったのは一瞬で、
矢継ぎ早に放たれた晴美のええ、ええ、という、
平坦な相槌の繰り返しが不気味に響き、
取り返しのきかなくなった事を美佐子に知らしめて来た。



「そうねえ、よかれと思ってやっている事が
裏目に出る事も良く」
「ありますよね」



言葉の末をかすめとって同調をしておくのが無難であると
美佐子は判断をした。
対している晴美も気色ばんだ顔色を収め、
相手へ向けた攻撃的な視線を
幾重にも折り重なった目尻の皺をやわらかく増やして微笑み、
自らのペースを持ち直そうとしている。



「でもこっちも手探りでやってるんだから、
先読みなんて出来ないわよね」
「ええ・・・」



美佐子は、晴美に服の一端を掴み取られたように
会話の内容が一カ所に
縛り付けられ、なおも引きずり込まれるのを感じながら、
この場をどう切り抜けるかを組み立て直す隙を窺い始めていた。








 >>>RI   -- 05/12/11-03:51..No.[149]  
    おかあさんだってがんばってます


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