熱に見る夢

苦しいのをごまかすために寝返りをうつと布団にはまだまだ余裕があった。
腕を一杯に伸ばしてやっと畳に手が届く。冷たい布の手触りが心地いい。
いつも寝ている狭い布団とは違った。
昼間の家は静かで外は騒がしい。発熱によって作られた膜一枚を隔てた向こうで工場の音が響いていた。
これは、たぶん旋盤が回る音だなと思う。
ぼくは工場の音が好きだ。
ときどきキーンという甲高い音が混じっていたから、もしかすると切れない刃でも使っているのかもしれなかった。

この夢には町の音があった。
身体は動かないのに感覚ばかり鋭くなって、聞こえた音と頭の中でがんがんする音が共鳴している。
昼の空気さえも音になって頭の中が支配されそうになったころ、頬にひんやりとした柔らかさを感じて目を開けると目の前には綺麗に化粧をしたよそいきの母がいた。
母の両手に頬をすっぽりと包まれて分かった。
布団が大きく感じたのは、ぼくが小さくなっていたからだった。
この頃の母は自分の仕事を持っていて、外に出て遊ぶことが大好きな人だった。
「ごめんね、こーちゃん。お母さん、ちょっとお出掛けするね。でもお兄ちゃんが早く帰ってきてくれるから大丈夫よね」
頷くのもおっくうで少し頭を動かしただけだったのに、きちんと母には伝わっているようだった。
相槌のように一つ頷いて頭をなでてくれた母の立ち上がる気配で小さなぼくは目を閉じる。
この夢には、匂いも体温もある。
母からは化粧の匂いがしていた。ほんの少し香水の匂いも。


目蓋がじんと熱い。少しの間だけでも目の上に冷たい手を当てて欲しくて、薄目を開け「おかあさん」と声をかけたつもりだったが実際はヒュッと喉がなっただけにおわった。
母の横顔は楽しそうで、ぼくの様子には気付きそうにない。
ぼくとは一切関係のないところで刻まれる目と口許の小さなしわ。
急に悲しくなって涙が溢れた。熱が高くなりはじめているのを感じる。
母は、ついにぼくを見ることなく部屋を出て行ってしまった。
背を向けて布団をかぶるだけで精一杯の小さなぼくの「行かないで」という声と、その片隅でずっと叫んでいたらしい今のぼくの「行ってはだめだ」という声が、境目の混ざり合った場所で重なった。
ぼくは、その声が届くことがないことを知っている。
「お土産、アイス買ってきてあげるからね」
いってきますと一緒にそんな声が聞こえたけど、ぼくは返事ができなかった。
しゃくりあげたもので喉がふさがれ咳き込んだころには、もうぼくしかいなくて、狭いはずの家はとてつもなく広くて、なのに工場からの旋盤の音が迫ってくるようで、早く時間が過ぎてくれることばかり祈っていた。



 >>>もやっと   -- 05/10/04-16:47..No.[142]  
   


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