バレンタイン狂想曲>>2

2>>>ヘイストアンドウェイスト





バレンタインはどのようにお過ごしになるの?






薄い雲が延々と広がる冬空からの日差しは、
教室のどこにいても淡過ぎて頼りない。

頼りないわりに埃の渦を明るく瞬かせて、
同級生が目の前や窓際を横切るたび、舞うように動き回る。

雑誌の表紙には「おしゃバレ!」って、
まるっきり意味の分からない略語で
やたらと氾濫している情報どおり、
世間の全ての注意が向いているわけじゃないけれど、
女子にとってみれば年内のイベントのうち、
トップ3に入る重要度を持つバレンタインがもう間近に迫っている。


お育ちの良ろしい方たちなので、
はっきりとした物言いをひらひらと避けては
慎み深く微笑みを浮かべ、
お互いの好奇心の色を出さない注意を払っていた。



それでも、バレンタイン、というビッグネームなイベントを控えて、
上気した熱のある口振りは隠しきれていない。
好きな人がいるなら余計にそうでしょう。



どこそこですれ違った人が素敵だったとか、友達の知り合いだとか、
少し大人びている子は男の教員に渡すつもりなの、等、など。




話している事って、全部本当なのかしら。
でも多分、そんな事はどうでもいい事なのね。
内容の真偽はどうあれ、その話題を取り交わすだけで楽しそう。




でもあたしは、それどころじゃない。




どのようにもこのようにも、
こないだ久し振りに再会をした小林くんの様子が
ただ歩いていても、座っても、
何をするにしても意識の中に現れて来るほど
思考の中にこびりついてしまっているので、
クラスでの、ささやくような控え目の話し声には、
あたしは思考がまるで無頓着だった。




あんなに肌がざらついていたかしら。
肌の色も褪せたような。

顎や鼻筋も、丸みが削げていて。
あんなに線が太かったかしら。

笑う時に眉尻が下がるのは相変わらずだったけれど、
その眉の色が、かなり濃くなっていた。




相変わらず風采の上がらない、誤魔化したような笑顔を見せられたのに、
あたしは怒りが湧きあがるよりも先に、
心まで捻じ込まれた素手で、どこかを掴みとられたような感覚に、
声を掛けられても、ただ下を向く事しか出来なかった。




もうちょっと、ちゃんと話した方が良かったかな。




もう何回目かも分からなくなった同じ後悔を
飽きずにまた繰り返して、面影と記憶を照らし合わせ、
今の小林くんと記憶の中との差異に気付く事を
考え尽くしてからようやく、
バレンタイン、という言葉が思考の中に取り込まれた。




小林くんは本当、相変わらずパッとしないし
風采も上がらないし
スポーツも得意じゃなさそうだし

コンビニの前で自転車をひっくり返したものだから
籠に入れていた鞄の中身を全部ぶちまけてたし

髪型だってどこの誰にやらせているのか
右と左のバランスが崩れたまんま伸びているから
毛がツンツン雑草みたいに自由にあちこち向いていて、

もう本当ちょっと






べ、別にじっくりは見てないわよ!!
ちょっと通りすがっただけ!!
たまたまよ!!たまたま!!たま!



とにかく、あーんな無様な様子じゃ、バレンタインのチョコレートなんて
誰からも貰えないに決まってますわね!オホホ!


そう!久し振りに!
も・ち・ろ・ん、偶然にも!



出会ってしまったのもまあ!不運と言えば不運ですけれど!
しょうがないですわね!
フーやれやれ!まったく!
この!このあたしから!
チョコレートを差し上げてあげなくもなくもなくってよ!



良いこと?これは慈善事業なの!

人助け!
ボランティア!!
ピースオブアース!!

あわれなダサい男子に一筋の希望を分け与える!!
女神のような綾小路櫻子としては当たり前のことね!



しょうがないですわね!これはしょうがないですわね!



別に、バレンタインだからといって、告白に限るわけじゃなくってよ!!
感謝の気持ちとか!!







何を感謝?








久し振りの再会に決まってるじゃないの!!当たり前でしょ!!!
久し振りだから「綾小路」じゃなくて「あやこうじ」だったのよね!!
ちょっと間違えただけよね!


んまあ!小林くんのくせに!!
前はちゃんと「綾小路」って呼んでくれてたのに!!
くれてたって何よ!!当然じゃないの!!



す、好きだとか、
そ、そ、そういうんじゃないんだから!
分かってる!?
分かってるわね!??





勘違いしないでよね!!!





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街路樹から降り注いだ木葉が、
道の隅に寄り添って小さく積もっているのを、
車が過ぎる風が吹き飛ばし、カタカタと乾いた音を鳴らした。


執事の愚息に、例のコンビニまであと数メートル、
という所まで送るように言い付け、
歩道に横付けされた車が枝ばかりの木立の下を潜ると、
夕暮れの車内に影絵の線が交差する。


どこに行く気だという相変わらずぶっきらぼうな物言いには、
無言を貫いた。
緑色のハザードランプがカタカタと鳴る無機質な音だけが響く。
空気そのものが圧し掛かって来るような、重みを持っている気がした。



運転席からこちらを振りかえらないまま喋る時は、
大概、怒ってる時なのよね。



別に悪い事をしているわけではないのに、
妙に落ち着きを失わせてそれ以上動くのを躊躇わせた。


駄目!駄目よ!こんな事では!!
あたしは見られてもいないくせに、
何か全て見透かされてるような居心地の悪さを
振り払うように、車を降りた。


付いて来ないでよね! と、苛ついた語気を隠しもせずに荒く言い残し、
駄目押しみたいにわざと大袈裟な音を立てて扉を閉じたら、
愚息もそれぎり何も言わずに、やっぱりこちらを見もせず、
ゆるゆる車を動かせて、そのままコンビニを通り過ぎると、
交差点を折れて見えなくなった。





なによ、少しくらいは聞いても良さそうなものじゃないの。
もうちょっと、聞いてくれれば、あたしだって。




それとも最近、聞かれた事にも話していないから、
やっぱり怒っているのかしら。
だからって、何よ…。





意気地を挫かれて、何となく気分が落ち込みかけたのを、
鞄の中に隠し持っていたチョコレートの紙袋の、
取っ手の部分が隙間から飛び出してしまっているのが見えて、
あたしの緊張をまた揺り動かした。



やだ、こんな大きな紙袋じゃ、いざ取りだしたら隠せないんじゃないの!?





「わあーあの子バレンタインのチョコレート持ってるわー
誰にあげるのかなー」

プッ










ぬ!ぬあんて!!ぬわ!なあんて!
おも思われたら!いや思われるに決まってますわ!
恥ずかしいじゃないの!!


いえ、待ちなさい。待ちなさい綾小路櫻子。クールになるのよ。
この綾小路櫻子に手抜かりはなくってよ!!
いいこと?


ぬわんと!!今日は!!!





1   3   日   !   !






ですもの!!バレンタインは、明日!


明日じゃなければこれはただのプレゼントよ!!
あたしったら我ながら天才的!!
ホホホ!叡智の恩寵を一身に浴びる
この綾小路櫻子ならではのひらめき!!

完璧!!完璧ですわ!!






完璧…





>>>






小林君は、ほとんど毎日このコンビニに寄るらしい。
腹が減って家に真っ直ぐ帰れないんだと笑ってた。
真っ直ぐ家に帰って食べれば良いのに、
いちいち寄るような事が楽しいのかしら。



6年生になってからは小林君の背はますます高くなって、
背の小さな男子と並んだら、歳の差がたくさんあるようにも見えた。
あれだけ上背があれば、入れるところもそりゃ増えるわよね。


あたしは小林くんの背格好の特徴を、
コンビニの店内や駐車場の人影のうちに探していた。

この季節の夕暮れは短くて、
日の落ちかけていた風景がどんどん薄暗くなっていく。



あんまり暗くなり過ぎると、
小林くんがいても分からなくなっちゃうじゃない!

…でも、分かっちゃったら、行かなきゃいけないのよね。




いつも寄るからといっても今日はたまたま寄らないかもしれないし
でも寄ってくれなかったら明日渡す事になっちゃうじゃない!






明日!?





心の準備がまだよ!まだなのよう!
どうしよう、でも来ないと渡せないし、
っていうかそもそも、本当に渡すの!?

ああ、もう、何なのよ!!何これ!!なに!





コンビニの大きな窓から照らされる明かりが、
ずらっと並んでいる自転車を照らしあげている。
今いる場所からは顔までは見えないけれど











小林君だ。












今日は13日。今日は13日。
鞄から出し、手に持っていた紙袋の取っ手を、ぎゅっと掴んだ。

さっきから握り過ぎて、
これだけ太い紐でも千切れるような気がした。



分かっているけど。
敢えて自分で選んだ日付だけれど、
チョコレートだもんね…。

あの何をするにしてもいちいち鈍い小林くんに、
分かって欲しいような、分かって欲しくないような。



こういう時、心臓の音が聞こえる、なんて言うけど。
そんなものが聞こえるような余裕もなくて、
ただ、鼓動があまりにも強くどんどん打ちつけるものだから、
このままだと、そのうち壊れるんじゃないか。とは、思った。




意を決して、足を進める。
今の場所から小林くんまでの距離は、1分も掛からない。
そんな事は分かってる。分かってるけれど、
どうしてもすんなり進めない。


通りを走り過ぎる車の音も、自分の足音も、
心臓の音にまぎれていて、
耳の中の一番遠いところに追いやられているように聞こえていた。




距離が詰まっていくと、
背後にコンビニからの明かりを逆光に背負っている
小林君の顔が、あの誤魔化したような笑顔で解けているのが、
ゆっくり現れて見えた。


また眉尻が下がってるわよ。
なにをそんなに楽しそうな顔をしてるのよ。






小林くんの前には、
あたしのいる場所からは横顔すら見えない、
髪の長い女の子がいた。




小林くんと同じ学校の制服を着た
その子の口が笑っているのだけは見えた。

白い息を漏らして笑う口を覆い隠す細い指が、
薄暗い景色の中でも、とても白かった。







あたしはまだ何も分かりたくないのに、
さっきまで遠ざかっていたはずの様々な音が、
一気に掻き集められて意識の内に吹き上げて来る。





だから、その子が言った言葉が、
小林くんにも気付かれていない場所に立っているあたしまで
はっきりと届けられた。







「明日は、学校で渡したら、恥ずかしいから。」














隠していたはずの紙袋を、
いつの間にか胸の位置まで抱えていた。
割れるような音が出るほど、強く握りしめていた。



 >>>綾小路櫻子   -- 12/04/17-11:27..No.[241]  
    時期外れな、バレンタインの話。
長いので、分けて続きます。(そのうち>>3)


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