薔薇の咲く庭


「薔薇ってどうやって植え替えたらいいか、教えてくれませんか」

隣の家には若夫婦と3歳ぐらいの女の子が住んでいた。
どうやら妻の方は植物が好きらしい。
古い借家に越して来てから子供を三輪車で家の前で遊ばせ、彼女が庭で何やら土いじりをしている姿を時々見てはいたのだが、自分が造園なんかを生業にしていると知って、ある日声をかけてきた。

トラックに土の入った袋を乗せながら見ると、かなり疲れた感じのバラの苗が植わった鉢を手にしている。

振り返って彼女の弄っている庭を見る。
日当たりは問題無いが、どうせ薔薇を植えるのならもう少し土をなんとかしたい感じの庭だ。
植える前にまず、土を掘り返して腐葉土を混ぜてみろと教える。

あまり期待はしていなかった。
子供は小さいし、土仕事は女にはかなりな労働だ。家事と育児に庭の土掘りじゃ手も回らんだろう。
薔薇は世間で言う程弱い植物ではないが、ほったらかしで見事に咲く事も無い。
せめてスリット鉢に入れ替えるよう教えてやれば良かったかも知れない。


その日の仕事先に車を向け走らせながら後悔する。


しばらくしてまた、そこの家の女につかまった。


「土、やってみたんです。ちょっとまんべんなくやれたか自信は無いんだけど…」


トラックの傍で振り返って庭を見ると、確かに土の色が変わっている。
これだけやる気があるなら、もう少し丁寧に教えてやろう。
薔薇についてあれこれ立ち話をした。彼女が植えようとしているのは蔓薔薇だ。誘引の仕方もその内教えてやらなくちゃいけない。

「お宅のお庭は森みたいね。でも元気無い木も結構あるのね」

うちの庭は造園用の木や、手を入れた庭から不要になった木を持ち帰ったりして作られている。
人間の都合でシンボルツリーだなんだと植え付けられた木が環境に合わず弱ると、引き取って養生するのも仕事の内だ。
興味の無い人間の庭に植えられた木は憐れだと思う事がよくある。
もっともっと本来なら違う姿で育った筈のそれらが、葉を落とし枝を絡めて鬱蒼と立つ庭を毎日見て何も思わない鈍感さが自分の仕事の元だったりもして時にやるせない。

彼女が手を入れ出してから、隣家の庭はゆっくりと確実に生き生きと育ち出し、趣を変え、美しくなっていった。
植えた蔓薔薇は、白い花を咲かせた。
教えた通り誘引した為、左右に開いた枝の先にはこぼれんばかりに薔薇が咲いて美しい。
古びた家の庭の、その一角に凛とした空気を漂わせた。

眺めて美しい庭が出来上がった頃、引っ越しの車がその家の前に着いた。

家具を運び出す業者の間をエプロンをつけて忙しそうに出入りする彼女が、自分を見て頭を下げる。

「引っ越す事になったんです!」

少し声を張ってそう言ってから、出した声に恥ずかしくなったのか自分の方へ駆け寄ってきた。

「色々教えてくれてありがとうございました。今度、夫の母と同居することになって……」

喋りながら彼女の視線が丹精した庭に向く。
自分も一緒になってその庭を眺める。

家の中の何は持っていけても、庭を持って引っ越す事は出来ない。


「薔薇、…あの薔薇、持っていけるようにしてあげましょうか」


自分でも思いがけない言葉が口を出る。
彼女は少し驚いた顔をしてから、笑って首を振った。

「この景色が好きだから、次の人が大事にしてくれるといいわ」


果たしてその一家が出て行った後、数年そこの家には借り手がつかず、自分は泥棒のように時折その庭に侵入して薔薇の手入れだけは続けた。
なんでそんなことをしているのかはわからなかったが、放っておく方が気分が悪かった。

次の借り手が昨年決まったが、これまた事態は悪くなる一方で、独身男の上、始終家を空けまくり。
夏場は一回も草むしりをせずに過ごしやがって自分の方が胃が痛くなる思いだった。
たまらず名刺を持って、自分は造園の仕事をやっている、安くやるから庭の手入れが必要だったら言ってくれ、と挨拶したのだが手入れをしてくれと言う話にはならなかった。


人が住むようになると、庭にはいりこんで薔薇の世話をしていたらそれこそ不法侵入だ。


こっそりと出入りもしがたくなり、こいつ、出て行かないだろうかとまで思うようになってきた。
そんな頃、興味も無さそうに名刺を受取ったその青年から電話が入った。
庭の手入れをお願いしたいと言う。

なんの心境の変化かは分からないが、電話口で声が上ずる程自分が舞い上がってるのがわかった。


あの薔薇の手入れが思う存分出来るぞ。


元気の無い薔薇の鉢を抱えて心配そうに見せた彼女を思い出す。
いつか、彼女があの家の前を通った時にはきっと驚いて笑顔を見せるに違いない。
そんな薔薇の咲く庭にして見せよう。自分の手で。



 >>>ゆり   -- 12/03/12-01:13..No.[237]  
   


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